学習内容解説ブログサービスリニューアル・受験情報サイト開設のお知らせ 学習内容解説ブログをご利用下さりありがとうございます。 開設以来、多くの皆様にご利用いただいております本ブログは、 より皆様のお役に立てるよう、2020年10月30日より形を変えてリニューアルします。 以下、弊社本部サイト『受験対策情報』にて記事を掲載していくこととなりました。 『受験対策情報』https://www.sakusakura.jp/examination/ 『受験対策情報』では、中学受験/高校受験/大学受験に役立つ情報、 その他、勉強に役立つ豆知識を掲載してまいります。 ぜひご閲覧くださいませ。今後とも宜しくお願い申し上げます。 |
こんにちは、サクラサクセスです。
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今日は江戸時代倒幕までの流れについて話を進めたいと思います。
以前のブログで、江戸時代末期にペリーの来航により日米和親条約・日米修好通商条約を学習しましたね。
そこから海外の勢力には負けてはならんという動き攘夷(じょうい)が活発となり欧米の勢力に負けた幕府はあてにならん、もう一度天皇中心の政治を!といった動き尊王(そんのう)が長州(現山口県)を中心に盛んとなりました。この動きを尊王攘夷運動といいます。
攘夷運動として薩摩藩(現鹿児島県)は生麦事件を起こし、長州藩は下関海峡で外国船を打ち払おうとしますが、両藩とも失敗。
上記の動きから攘夷が無理であると察した両藩は相手を海外でなく幕府に切り替えました。そこで元々両藩は犬猿の仲ではありましたが、坂本龍馬の仲立ちもあり薩長同盟を結びます。
薩長同盟の語呂合わせはイヤ~(18)ムム‼(66)薩長が同盟の動きに‼
薩摩藩と長州藩が手を結んだことを脅威に感じた幕府は血を流さずに幕府を終わらせるという形を取りました。15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返す大政奉還です。
大政奉還の語呂合わせは威張るな(1867)徳川!! 大政奉還
徳川に仕えていた家臣の中でも慶喜の決断に納得していない者も多かったです。
そこで旧幕臣が京都に攻め、負けに負けを重ね1年以上の戦いを繰り広げ最終的に函館で降伏したこの戦いを戊辰戦争(1868年~1869年)といいます。
今まで説明したこの出来事は日米和親条約から15年のできごとです。
終わる時ははかないですね。
最後までお読みくださりありがとうございます♪
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