学習内容解説ブログサービスリニューアル・受験情報サイト開設のお知らせ 学習内容解説ブログをご利用下さりありがとうございます。 開設以来、多くの皆様にご利用いただいております本ブログは、 より皆様のお役に立てるよう、2020年10月30日より形を変えてリニューアルします。 以下、弊社本部サイト『受験対策情報』にて記事を掲載していくこととなりました。 『受験対策情報』https://www.sakusakura.jp/examination/ 『受験対策情報』では、中学受験/高校受験/大学受験に役立つ情報、 その他、勉強に役立つ豆知識を掲載してまいります。 ぜひご閲覧くださいませ。今後とも宜しくお願い申し上げます。 |
こんにちは、サクラサクセスです。
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さて、そろそろさくらっこ君と先生の授業が始まるようです♪
今日も元気にスタート~!
吉岡先生
社会担当の吉岡です。
この前の、日清戦争が始まった年の一杯食うよ(1894年)日清UFOが頭から離れないよ!
今日はどんな語呂合わせを教えてくれるんだろう?
吉岡先生
覚えてくれてうれしいです。(*^^*)
見ていない方は、こちらから!
今日は日本が江戸時代,
60歳近くのベテランアメリカ軍人ペリーさんが4隻の軍艦を率いて
浦賀(現在の神奈川県の横須賀市)に現れ、開国を要求した年の1853年です。
当時、日本は鎖国中だったので、江戸幕府は長崎でなければ交渉しないと主張したのだけれど、
ペリーさんは強気に江戸湾(現在の東京湾)に侵入し、大砲を見せつけて圧力をかけたんです。
と思うとゾッとしたんだろうね。
吉岡先生
そうですね。アメリカ使節*ペリーが浦賀に来航して開国をせまった1853年を
イヤでござんす、ペリーさんで覚えましょう!
*使節…国の代表として、国家や君主の命令を受けて他国と交渉する仕事をする人。
とてもユーモアのある覚え方でおもしろいね!!
吉岡先生
実際、発砲禁止令が大統領から出ていたので、
ペリーさんは大砲を打つ気はありませんでした。
また乗っている蒸気船の石炭補給なども必要で、
その補給路確保もしないといけなくてアメリカ側も必死の交渉だったんですよ。
結局、ペリーさんの勢いに負けて、
幕府はアメリカの開国要求の国書を受け取ってしまったのです。
さらに、ペリーさんは「1年後にまた来るぞ~!」って言い残したとか。
吉岡先生
1853年の1年後、宣言どおり、
ペリーさんが7隻の軍艦で再び来て結んだのが日米和親条約です。
1853年+(プラス)1年で覚えましょう。
☆日米和親条約の内容☆
① 燃料・食糧の供給と難破船の救助
② 下田(静岡県の伊豆半島南部)・箱館(現在の北海道の函館)の開港と領事駐在権の承認
③ 最恵国待遇の供与
※日本が他国に何らかの特権を与えた場合はアメリカにも同様の特権を与えるということ。
吉岡先生
ちなみに、なぜ函館?と思うかもしれないけれど、当時アメリカもクジラを捕まえていて、
その捕鯨船が津軽海峡を抜けて日本海まで来ていたから、絶好の場所だったんだよ。
吉岡先生
そう、主に油を使うために捕まえていたんだよ。
当時、鯨油は灯火用燃料や洗剤などに使われていて重要だったんだよ。
開港場所にもちゃんと理由があるんだね。
吉岡先生
今回は、1853年を覚えてその1年後に日米和親条約を結ぶということを覚えましょう。
ちなみに、1854年は、アメリカと親しくなるか悩みまくって一夜越しって覚えるのもありです。
1853年からの流れで覚えるといいんだね!
吉岡先生
そうですね。では、さくらっこくん、また一緒に勉強しましょうね。
最後までお読みくださりありがとうございます♪
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